grad樋口円香 = ???
今日も今日とて天気は詩的私的解釈の嵐です。grad円香コミュをご覧でない方やこれが個人の解釈であることをわかっていただけると安全に移動できるでしょう。俺の円香をしっかりと見てくれ。好きだ、円香
一応、円香のwingコミュについての僕なりの考察記事も貼っておく。
「誠意」が相手に届くことは稀であるが、自分に届かないことは決してない。
言葉は誰のために
脈を打て
誰か(これはギンコちゃん)のgradPR動画からこのコミュは始まる(一応、この子がギンコビローバに出てきた子であるということは大事なことではあるけれど、ギンコビローバを見ていなければ理解できないなんてことはないと思う。必要な要素はちゃんとgradだけで閉じている)
仕事の現場に向かう円香、ここで行こうとしているのは22階。そしてあとから乗ってきたギンコちゃんは17階だ。この数字について考えてみよう。まずは単純に上下関係から、後にもあるようにギンコちゃんは円香から励ましてもらったりアイドルとして売れなかったりとアイドルとして円香がギンコより上であることが示されているのでこれは当然メタファー的になっていると捉えていい。問題は数字そのものの意味だと思う。円香は偶数かつ11の倍数。ギンコちゃんは素数で円香の数字との差は5だ。別のブログで考察したが
ノクチルのプロフィールの数字から妄想広げる選手権応募シート - 人間ってイーナ
11というのは小糸の数字、かつ11/11はノクチル4人を示すと捉えたので、22というのはノクチル全員でたどり着いたとみるべきだろう。つまり円香自身の性質、才能というのはあるが決して彼女の独力でたどり着いた場所ではない、そういうとらえ方ができると思う。(こじつけ?うるせえ、俺がそう思うんだからいいんだよ俺の中では)
17は素数であるといったが、つまりはギンコちゃんは一人で戦っているのだ。彼女自身の才能もあるだろうけれどこの差こそが本質のような気がする。ギンコちゃんの孤独ではなく、円香は周囲に恵まれいているというようとらえ方をしよう。実際後のコミュでそのような言及もなされるし、整合性という面では問題がない。
この部分についてはギンコの一部コミュがあるといいかもしれないとは思うけれどもいったんはギンコビローバについては言及しない形で行こうと思う。このブログの最後につけたす予定なのでギンコビローバも見たという人はそこも見てもらえると嬉しい。さて、カラカラカラのコミュを思い出そう。trueコミュのエンジンだ。円香は「あなたがエンジンを止めるまで」と言ったことを考えよう。彼女自身で終わらせたりできない。それはギンコとの明確な違いだ。周囲の人間との関係性の違いがここでも強調されている。つまり円香に責任はないというわけだ。円香は非常に責任感というか自分の役割といったものに対して潔癖症ともいえる態度をとるが、Pへのあたりかたなどから考えてみてもやはり大人に甘えている側面がある。これは高校生ならありがちな態度だ。自立したいと反発し、思春期的潔癖症を持っているもののその実大人に甘えている。それだけが次のセリフにつながるわけではないのだが、”軽さ”というものはgrad円香において非常に重要なものになる。
空は晴れている
円香の才能が強調されるコミュだ。
にちか見せた後にこういうのずるくないですかね。さらに考えておきたいのはgrad小糸コミュ。ネタバレは避けるけれど頑張ってるところ見せなくちゃいけないっていうのはある意味ではアイドル的だ。ダンスグループほど踊れない。歌手みたいにうまく歌えるわけではない。アイドルのアイドル的魅力というのは一生懸命さを売るということに近くなる部分が多くなる。しかし、円香は軽く踊る。考えておきたいのはこの軽さとは何なのかということである。一生懸命というセリフが後に続くことを考えれば頑張っている・無理しているということを感じないということ。アイドルとしての彼女の切羽詰まってなさ事態も内包しているはずだ。
もうさ、樋口円香総括って感じだよな。これは「カメラレンズに笑う」だ。宣材写真はこの時に撮っているものでしょう。であれば何故撮り直したいと言っているのか。CDショップのイベントは忘れもしない。円香の代表的セリフ「笑っておけば何とかなる。アイドルって楽な商売」というセリフが生まれた場所。アイドルに対する認識の変化というのが素直な取り方で。軽やかさ、重圧のなさ。アイドルとしての必死さのなさ。そういったことは円香にとっていい状況ではなくなった。wing時の宣材写真が「笑っておけばいい」と思って撮った写真ならこの時撮りなおした写真はどんな表情をするのか。僕は”笑わない”だと思う。にちかのコミュで”笑えない”ということが意識された。笑うことがアイドルだと、だからこそ円香は笑っておけばいいと思えなくなったはずだと感じるのだ。彼女は取り繕うことができるのだ。その場でそれなりの返答や対応ができる。それはギンコビローバの映画の感想を言うシーンでも出ていただろう。取り繕うこと、本心ではない振る舞いをすること。それ自体が彼女の軽さなのだ。そしてそれに対する嫌悪感が生まれたからこその宣材写真の撮りなおしだと考えるならば、”笑わない”という選択がベストアンサーなのだと確信している。
息遣いを聞く
Pが仕事を終えて事務所へ戻ってくる。これはPコミュだ。
一人プロデューサーが明かりもつけずに頑張ろうと決意しているところで……
円香さん暗闇から登場。
暗い部屋で何してたんですかね。帰ろうとしていたところなわけない。であればPが事務所に入る前、それこそ車かなんかで事務所付近まで来たときは事務所の明かりはついているはずで。であれば何をしていたんだろうか。
暗い部屋で一人テレビはつけたまま、僕は震えている。何か始めようと。していたのか?(イエモンはさすがに円香聴いてないだろうしJAMは微妙な気がする。いや案外あり??)
閑話休題。このあと、バラエティ番組のアンケートの紙は置いてあると言っていたのでこんな時間になるまで残る理由は本当にあった。またこの日は宣材写真が届く日であったことも考えておけば、それを確認するために残っていたというのが自然だろう。そして何故暗いのか?ここからは本当に勝手な想像だ(今までのが勝手な想像だと思ってないんですか?)。Pが宣材写真を見てどう感じるのか見たかったのではないかと思うのだ。”笑わない”という選択をしたかどうかはさておき、宣材写真を撮りなおす。自分自身のアイドルとしての振る舞いの変更を望んでその結果が来たときに、彼女自身にはまだアイドルというものがどういうものなのか。アイドルとして自分はどうふるまうべきだったのか、自分の選択の結果をPがどういった反応で受け止めるのかを知りたかったのではないだろうか。ここからの会話は最高だ。もし見てないなら見てほしい。パーフェクトコミュニケーションだ。
Pの口からも強調される円香の才能。この後のセリフ。「そして聡い。物事の奥を見ようとする」というのは円香の臆病さ。自身に感じる薄っぺらさへの反発だ。
そして最後にギンコちゃんの「終わりにするときは自分の意思で」という回想が入る。ギンコちゃんと円香の対比は意識するべきだ。何度も何度も強調される自分で終わろうとするギンコと、Pにゆだねている円香。ここからの変化がgrad円香なのだ。
予選
このシーンの、「なんとかなりますよ、笑っていれば」は言い聞かせているような気がするのは僕だけだろうか。前半の聞かなくていいんですかってのは聞いてほしい、でも言いたくはない。といったまあらしい感じだろう。笑ったんだろうか。ステージで。教えてくれ高山。
無機質な廊下
円香の本質的な部分。あるいはノクチルにまつわる青臭さ(これはPもなんだけど)についてのコミュ。Pと円香の共通部分。
円香はバラエティ番組に出演し、笑うべきところで笑わなかった。(笑っておけばなんとかなるのに、ここ露骨なくらいの書き方だったけど大好き)
笑えない、これがこう出るんだって。円香はきっと嫌だったんだ。弱さを売りにすることを。grad小糸も併せて考えたい。頑張ってるところを見せる。弱さを売りにする。それは自分をすり減らす道だって言うことがわかっている。そのうえで器用にそれを伝えるわけではなくて、思春期的潔癖症の発露としての子のセリフ。あり得ないくらいにしびれた。弱さを売りにすることを否定していながらシャニマスが青臭さを肯定していることの証だと思った。カッコ悪くなったってカッコつけたいという意思の証。
同じ時間に、Pは円香への仕事を頼まれるも断る。これもそうだ。過激さ炎上をすることで目立つ。同じことだ。弱さを売りにすることをPも否定する。Pも円香も本質的には同じだ(もちろんPはユニットによって売り方を変えるだろうけれど)。二人とも青臭く、カッコ悪くカッコつけたいんだ。俺はこの姿が何よりも素敵だと思う。ただ、円香のそれはギンコちゃんにとって、Pのそれは円香にとって(これに関しては同じ認識だと思うけれど)はどう映るのかといったことだ。
同情される側から見たらどうなるのだろうか。ギンコにとっては最後のチャンスを生かすために自分を切り売りすることすらためらわないという決意の証左だったのだが、円香は思春期的潔癖症、思春期的正義感言ってしまえば青臭さのためにそれを許すことができなかった。円香にとってそれは同情ではないだろう。才能あるもののこういった振る舞いは才能のないものから見ればもう最後通達にすら聞こえる。
椅子の背もたれに
円香が待つカフェに行く。カフェだよ。始まりの場。場所は違うけれど、何か円香の中で重要なことが起きることは確信できるはずだ。
結果的に円香が「笑えなかった」ことは番組として悪いようにはならなかった。しかし、円香は選択したことに対して自己が責任を取れない範囲でうまく収束したことについて失敗だと感じている。ここもだ。過剰に責任とか期待に対して反応するのは何故だろうか。彼女自身の臆病さと望まないスタンスはこれまでの人生の中で責任や期待を抱えることが少なかった(透みたいなやつが近くにいればなお)。それが彼女自身の軽やかさだと。
(Pは桜えびのパスタ)
聞き流してほしいと言い、あなたに向けて言っているんじゃないという状況を作ったうえで心情を吐露する円香。透との類似を感じる。それと雛菜の強さを感じないだろうか。「苦しんでいないとがんばったことにならないの?」
円香は苦労していないから軽いのだと思っているがそれは傲慢ですらある。苦しんだから本当で、重い人間になるわけじゃないはずだけれど、そこまでの達観に達してはいない。ギンコに「憐れんでいましたか」と言われたのが余計に響いてるのかもしれない。それを受けてPは(Pは本質的に雛菜なんだ。青臭いことを自覚して楽しむこととか本当に大事なことを見分けようとしている)?円香はまだ視点が狭いのかもしれない(周りを過剰に見ているのは自分を見ていないという意味で狭いのだ)。
どれだけの価値があるだろう
どれだけの価値があるだろう。利口になることに。
正解はないよ
正解はないよ。円香の言う通り、行動として不正解な部分はあったかもしれない。でも正解の部分もあったと思う。
大したことは言えない
大したことは言えない。円香の言葉が薄っぺらいと言うなら、俺の言葉だってそうだ。それでも、自分を信じて言葉にする。少しでも届いてほしくて。
どの選択肢でもPは青臭さの肯定をする。俺も同じだよと。”信頼”という青臭い言葉を使おう。Pと円香が青臭い・思春期的正義感を肯定した。そして円香はようやくPに対して甘えることができた。その証拠に最後にPが奢ると言ったときにホットのレモンティーを頼む。本当にこれは前進であるといえる。wingではプロデューサーと呼べた。ここでPは円香にとって信頼できる人間になったのだと思う。ホットレモンティーというのも重要で二ガニガではPを理解するためにコーヒーを飲んでいたが、ここでは円香が好きなものを頼んだのだろうことも分かる。本当にとてもとてもいいコミュ。パーフェクトコミュニケーション。
(ところで桜えびのパスタってなんか意味あるんですかね、俺には何にもつながりが見いだせなかった)
決勝
言葉ではなくダンスで表現を。Pは言う。言葉がなければ表現(ダンス)が軽くなるだけだと返す円香に、Pは軽いんじゃなくて軽やかだという。本当にとても素敵な素敵なコミュだと思う。そして優勝後―
誰に向けて思い切りステージを踏みつけた音を、姿を見せたかったんだろうか。歓声や音響でその音は聞こえなかったとしてもその姿は気持ちはきっと誰かに届いたはずだ。
ここのPの語彙力が小学生みたいになっている(つまりは透みたいなコミュニケーション)が、これは言葉を武器に語彙力を駆使してきた円香とPの関係性の変化ととらえたい。信頼とはノンバーバルなものあるいは子供的なコミュニケーションに近いものだと。
追記
Elegant(軽やかさや優雅)であることを前半部分でこれでもかと何度も強調してからの象(Elephant)です。ここに引っかかっていたのですが、ドイツ語では綴りはElefantになりますし(単純にローマ字でもいいです)、gからfへ変化したと見ましょう。さて、力学の復習です。運動方程式f=mgです。gからfに変化した、つまりm(質量)がかかったのです。 これを思いついたときは飛び上がりたくなりました。
上で単純にローマ字でもいいと言いましたが、ドイツ語(独語)とすれば一人になった。とも言えますね。
願いは叶う
円香が優勝したということはギンコは負けたということだ。そして再びエレベータ。今度は円香は1階へ降りる。そしてギンコは途中で降りる。これはどう取ってもいいと思う。途中で自分で降りたギンコはアイドルをやめたのだととってもいい。これはもう自由だ。
エレベータの中で必死にギンコにかける言葉を考える円香。途中で降りちゃうから私の話を聞いてくれとギンコ。
これはもうどうしようもないくらい掛け値なしの告白だ。文句ないくらいにギンコは必死にアイドルをしていたんだと。凄くて好きだから嫌いなんてギンコは円香に言うんです。円香はPをどう思っていましたか?ここはあまり語りすぎないようにしたい。
「またどこかで!」と降りようとする彼女を呼び止めて円香は―
いつもの円香とは打って変わって素直な、とても素直な言葉だ。エレベータの中で必死に言葉を探したけれどきっとそんな言葉を使う必要ないんだって分かったから、子どもみたいな語彙で素直に。
あまりにも爽やかな最期だった。第一章完とかつきそうな。それくらいに今までの円香のコミュの全部が詰まっていた。伝えられたかなとPが聞いたときにおかげさまでと肯定する円香は、ようやく自身を肯定できていたように感じた。中途半端でも、カッコ悪くてもそれでも少しでも自分を肯定できるようになれたのなら、きっと円香は成長したんだろう。
なあ、円香。好きだ。